◆11番(高邑朋矢議員) 11番、高邑朋矢です。教育問題4点、質問いたします。
 最初は、中学校の生徒指導についてお伺いします。この写真を出すのはこれで4回連続4回目です。もういいではないかと思われる方も多分いらっしゃると思いますけれども、どうして私がここでこの話題を続けているかというと、陵平はもうしゃべることができないからです。彼の痛みだとか苦しみだとか恐怖だとかそういったものをしゃべれる人は私しかいない。私は今そういうふうに思っているのです。どうして私しかいないかというと、やはりその当時の、今のではありません、その当時の二中の雰囲気を一番よく知っていて、話すことができるのは、私しかいないのではないか、そういうふうに思っているわけです。
 たくさんいろんなことをこの1年間で3月から聞いてきたのですけれども、まだまだ話し足りないことが陵平もたくさんあるだろうし、私もたくさんあります。皆さんにきょうはその当時の、4年前の当時の10月2日にちょっと戻っていただきたいと思います。二中の体育館で行われた陵平が亡くなった次の日の全校集会の様子です。二中の生徒の気持ちになって聞いても構いませんし、先生の気持ちになって聞いても構いません。何かを感じてくれたらと思います。「この後、大貫陵平君のご両親からそれぞれお話をしていただきます」。陵平のお父さんです。『おはようございます。たくさんの人に足を運んでもらって、とってもうれしく思っています。きょうは校長先生にご無理を言って、この場でお話ししたいことがあって、こういう場所をつくってもらいました。今の黙祷の間、僕は目をつぶりませんでした。みんなが寄せてくれている思いを見ておきたかったからです。結構そういうやつって嫌な性格と思いません……。みんなが目をつぶっているのに、1人だけ違うことをしているやつって。もし陵平が僕みたいにちょっとひねくれた気持ちとずる賢い気持ちを持っていたら、あいつはまだそこに座っていると思う。きょう一番したかったのは、僕の大好きだったあいつが最後に書いた文章をみんなに伝えたかったんです。これから読みますから聞いてください。理解しなくていいですから、自分だったらどう感じるかなと一人一人の自分の気持ちで聞いてください。これから読む文章は二つあります。一つは反省文と題された文章です。
 「反省文。2年5組、大貫陵平。僕は、9月29日に昼休み中に廣谷君たちとベランダに出て話をしていました。そのとき廣谷君がハイチュウを食べていて、僕も食べたくなって、ハイチュウをもらって食べてしまいました。今思えば、本当にばかなことをしてしまったなと思います。お菓子を食べている人は、2学期に入ってから少し見かけていましたが、一度も注意をしませんでした。議長で、中央委員で、部長で、班長で、みんなにたくさんの仕事を任されている自分が注意一つできなくて、ついに自分自身が食べてしまったのが情けないです。また、池田先生が一人一人確認をとっていたとき、全員大丈夫ですと言っていたけど、そんなわけないのもわかっていました。そのとき何も言えなかったことを、今では何をやってたんだろうと思います。本当に済みませんでした。ライターを持ってきたのは僕です。スプレーとかにはつけてないけれど、持ってきてしまいました。そのときは軽はずみな気持ちでした。別に何をしようとか考えず持ってきていました。今後どのように罪を償うか考えた結果、僕は2年5組の教室を、放課後、できる限り机の整とんとごみ拾いをします。また、合唱祭の練習をたくさんやって、みんなをリードして、一生懸命頑張ります。仕事を進んでやり、みんなのクラス、学級の役に立てるよう頑張ります。これからは自分に注意できるようにします。今回は先生方の貴重な時間をたくさん使ってしまって、本当に済みませんでした。今後絶対にこのようなことのないように、気をつけて学校生活を送ります。済みませんでした」。
 そして、もう一枚です。「死にます。ごめんなさい。たくさんばかなことをして、もう耐えられません。ばかなやつだよ。自爆だよ。じゃあね。ごめんなさい。陵平」。あいつは確かにばかなやつです。おれたちをこんなに苦しめて、ばかなやつです。でも、精いっぱい生きたやつです。自分が生きれる限界まで生きて、耐え切れなくなって、生きることをやめた男です。ばかなやつですけれど、おれはいまだにあいつが大好きで、誇りに思っています。1枚目の反省文を病院で初めて読んだときに感じたことがありました。そのとき頭に浮かんだ言葉は、軍隊という言葉です。規則で人間を縛りつけ、その規則から外れた人間を罰し、その規則に従うことを無理強いし、そこから外れた人間には生きることを許さない、そんなイメージを浮かべました。だから、最初に言ったように、もしあいつがルールや約束に縛られずにちょっとずるいことができれば、きっとこんなことにはならないんだろうなと思いました。そして、2番目に気づいたことは、感じたことは、「先生方の貴重な時間をたくさん使わせてしまって、済みませんでした」という言葉の違和感です。みんな一人一人ちょっと想像してほしいんだけど、「先生方の貴重な時間を使わせてしまって、済みませんでした」って、自分の気持ちから出てくるかな。それで、これ、先生がみんなに向かってあるときどこかでそういう言葉をはいたんだと思う。「おれたちの貴重な時間を使わせやがって」。こんな乱暴な言葉かどうかわからないけれど、そういうふうに言ったんだと思う。だから、陵平がここに書いたんだと思う。そういう思いでこの反省文を何度も何度も読み返してみた。ここにはたくさんの周りからの圧力を感じているんです。みんなこの学校、居心地がいいですか。楽しいですか。多分12、13、14、15歳もいるのかな、仲間たちと会って、クラブ活動とか恋愛とかそんなことをしているのがすっごく楽しい時期で、ほんのちょっとしたことで笑ったりとかけんかしたりとかそんなことをたくさんできるすごく豊かな時間のはずです。みんなそういう豊かな時間を今過ごせているのかな。もしそうじゃないとしたら、嫌なことがあったら、許せないことがあったら、黙ってないで言おうよ。だれにでもいいよ。友達にでもいいよ。おれにでもいいよ。先生にでもいいよ。言おうよ。生きてなきゃしょうがないじゃん。
 陵平は本当に追い詰められちゃって、どうしようもなくなって死んだんだと思うんだ。なぜかってね、おれとあいつ、大切な約束をしていたんだ。あいつは小学校2年生のころからオートバイに乗っていて、結構速いやつだったんだけど、おれもずっとこのレースを続けていたから、あいつが免許を取れるようになったら、毎年岩手県で開かれている大会に一緒に出ようと。こっちではなかなか見ることができないんだけれども、テレビ放送もされていて、親子で出ると大抵珍しがってたくさん映してもらえるから目立っちゃおうよ、一緒に走ってって。ついこの間も、あと3年だね、そんな話をしていたんです。妙にきまじめなやつだから、そんな約束を普通なら絶対に破らないんです。でも、あいつ、約束破って、家族を置いて、飛んじゃったよ。みんなね、そう、先生たちもそうだよ。あのマンションに来て、10階のあの手すりから下を見てくださいよ、一人一人。それがどれくらい怖いことか。そして、その恐ろしさを乗り越えるその思いというのがどれほどのものか、一人一人体験してくださいよ。正しい答えを見つけようとしなくっていい。ただ、見て感じてくれよ。
 最後に一言、おれが今陵平に本当に一番言いたいことを言います。それは、ばかやろうということです。「ざけんなよ、てめえ。勝手なことしやがって」』。これが10月2日、4年前の隆志さんの全校集会でのスピーチなのです。そのときの父親の気持ちが私はよくわかります。
 3月からずっと教育長といろいろやりとりがありまして、幾つか考え方だとか事実だとかわかったことがあります。3月議会では、あの事件は私の中では課題であると。カウンセリングマインドというのが生徒指導では大事なのだと。ただ、規則を守ることが基本的に大事で、社会生活の基本を身につけさせてあげたいから、悪い芽は小さなうちに摘みたいのだと。そして、守らない子供を指導したのだから、何ら問題はないと。私が1か月間どうして学校側と両親が話し合いができなかったのか。事実を伝えられなかったのかという質問に対しては、本当にどうしようもない出張で、いろんな経過があるので、それで理解していただきたいと、そういうことを言われたわけです。
 6月の議会では、ではどういうことを具体的に教育委員会や学校はされたのですかという質問をして、資料請求をしました。そこでわかったことが幾つかあったわけですけれども、最終的には段階的な指導であって、問題はないと思うと、あの指導に問題はないという答弁でした。
 9月の議会では、その提出された資料は非常に手落ちがあるというか、具体的ではないということで、いろんなことを確認していったわけですけれども、10月1日には教育長が両親のところへ行って名刺を出されたことも確認しました。そして、1か月かかったことについては、学校内で起きたことではないから、調べるのに非常に時間がかかったのだと。最終的には、このときだけ新しい方法を使ってはいないと。普段のままの指導法をやったのだから、今まで問題が起きていないのだから、この指導法はあの事件とは関係ないのだと。陵平が亡くなったこととは関係がないのだと、そういうふうに言われたわけなのです。
 それで、この12月議会なのですけれども、複雑なようで、こんなことに置きかえていいのかちょっとわからないですけれども、サッカーをやっていまして、私はサッカーが好きでよく見るのだけれども、陵平たちがサッカーをやっていたわけです。ある子がユニフォームを引っ張ったと。ささいなことなのです。ユニフォームを引っ張る。でも、反則は反則なのです。そうしたら、レフェリーがいきなりレッドカードを出して退場させたのです。理由が、今までそれを随分注意してきたではないかと。要するに、イエローカードの累積でレッドみたいな形で出したわけです。それが教育長の言われる時系列の問題だと思うのですけれども、ただ生徒たちはどういう指導がされるかわかっていたと思うと言われたのですけれども、そのときの子供たちは本当にわかっていましたか。自分がやって、おまえが例えば5回目ではないかと、これは何かあきらめもつくと思うのですけれども、多分陵平は初めて警告をもらったはずなのです。今までほかの子たちはやってきたかもしれないけれども、彼らがやってきたわけではない。それなのに、担任が、レフェリーですね……